安易な修繕の陥穽
 建物の不具合が瑕疵であるのかないのか、入居後2,3年目の不具合が建物としての常識であるのかないのか―こうした見分けがさっぱりつかないのは、素人としては当然である。これに対して販売者はまともに対応してくれないし、施工会社に掛け合っても、素人には難解な技術用語を駆使して、いつの間にか言いくるめられてしまう。そんな途方に暮れた素人集団の前に現れたのが、これまでゼネコンに遮られて直接には、施主との接触がなかったサブコン、つまり専門業界である。こうして、前述の信頼と保証によるつながりとは全く別の形で、区分所有者群と専門業者とのつながりができたのである。
 区分所有者でなく単独のオーナーであれば、当然、瑕疵として追及されたであろう不具合も、今や責任の追及なしで現象への対策のみが求められた。例えば、雨漏りを例にとってみても、設計の不備や施工の不手際などの原因は追及されず、防水押さえコンクリートの上に無神経に、いわゆる防水塗料を塗りまくるだけというような膏薬貼り療法が、正しい治療法であるかのような風潮が出始めたのである。その結果、専門業者は、販売者やゼネコンに見放されて絶望していた区分所有者群から感謝され、ゼネコンを通しては絶対に得ることのできなかった単価での工事代金もキャッシュで手に入るようになった。ただ、この次にいつ雨漏りが再発するかは、神のみぞ知る・・・。
 このような形で、いわゆるリフォーム業という工事部門が徐々に生まれて来た。最初は処女の如く、目下は脱兎の如く大隆盛となりつつある。
 従来は、自社の工事の不始末は無償で解決しなければならなかったから、そのための出費はいわば「授業料」としての出費と見なされていたし、またこのことが施工技術の向上へのバネとなり、技術低下へのブレーキともなっていた。
 しかし、このような責任と原因の追及は行なわれず、単に現象の一時的解決だけで商売となる。 おまけに自社の不始末の尻ぬぐいではなく、他社の不手際の結果の安易な後始末がよい商売になる、ということになって来た。これは建築業界全体にとっても、また各種の専門業者にとっても喜ぶべきことであろうか。デマも三度放送されればデマでなくなる。最初のうちは、「10年目に大規模修繕のために大金を消費する? そんな馬鹿な」と一笑に付していた私ですら、この頃は何となくそんな気になりつつある。ここらでもう一ぺん、眉に唾をつけてよく考え直してみよう。
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