第8回  社長に直訴して解決した欠陥マンション紛争
ある欠陥マンションをめぐり、住民がデベロッパーらを相手に、文書合戦を展開。決着がつかず、筆者にアドバイスを求めてきた。
現場を見た筆者は設計ミスと施工ミスによるものと判断。デベロッパーの社長に直訴するように勧めた。
結局、この件ではデベロッパーが無償で修理を行うことで決着を見た。

これまで何度も述べたように、裁判は建築トラブルを解決する手段として決して好ましいものではない。裁判に持ち込まずに解決できれば、それに越したことはない。そこで今回は裁判に至らずに解決した例を紹介しよう。

6,7年も続いた文書合戦
十数年前のことだ。マンションの欠陥騒ぎから、頼りになるアドバイザーを求めて数カ所を転々としたあげく、私の所にたどり着いた人たちがいた。
聞けば入居後間もなく床がたわみ始めてひどい状態だという。ドアを一度開けると閉められず、それを無理に閉めると今度は体当たりしなければ開かない。浴室の床の排水孔が壁際にあるため、排水孔から遠い方の一辺に水が深さ1cmほどたまってしまう―─などなど。
このRC造・地上8階建ての欠陥マンションが建っていたのは一流有名企業の研究所がいくつもあるような場所。100戸近い住民の半数以上はこうした研究所に勤務する30,40歳代の研究者だった。
彼らは床のたわみが生じた原因を明らかにするため、畳をはいでスラブのヒビ割れ調査を実施。詰問状をマンションを販売したデベロッパーや施工会社に突き付けた。
販売者側は【コンクリートに収縮クラックはつきもの】とか、【少々床がたわんでも構造上の危険はない】という趣旨の反論を展開。建築の技術用語で煙幕を張ったり、建築基準法の条文を盾にしたりした。
住民側はそれならとばかりに建築法規の本を買い込んで勉強し、再び反論。こうした文書合戦を延々と6,7年も続けているということだった。
実は住民のなかにはデベロッパー(一流企業)の社員や施工会社(準大手)の社員がおり、建築技術者も何人かいた。しかし、だれも積極的に動こうとしない。管理組合の理事長として積極的に行動した人には、会社の上司を通じてある種の圧力がかかってきたという。

社長への直訴を勧める
そうした状況の下で依頼を受けた私はまず図面と構造計算書を検討し、その後現場を見に行った。予想以上にひどい状態で、全戸の床にたわみは2cmから4cm。床板クラックの最大幅は4cmに及んでいる。
床スラブとバルコニースラブは同一レベルで、バルコニー側のサッシの下にはブロックのかけらが無雑作に詰め込まれたままだった。そこから浸入した雨水が床のクラックを通じて下の階の天井裏に染み出し、スラブコンクリート中の遊離石灰が溶け出して、つらら状に垂れ下がっている。
洗濯パンの排水が悪いというのでめくってみると、横引排水管とパンの排水孔との間は直線距離にして20cmしかないにもかかわらず、他の配管があるため直結できず、エルボを8カ所も使った2重らせんの配管となっていた。
私は【これらの欠陥はすべて設計ミスで、施工時に注意すればわずかな設計変更で済む個所も、図面通りに無理矢理施工してしまったために生じたものだ。故に施工ミスでもある】と指摘。
続けて【販売者側が高名な学者先生を連れて来て、構造上の心配はないとお墨付きをだしても、生活の不便は変わらない。改善を求め続けるべきでしょう。ただし、これまでのような文書合戦は今後何年やっても無駄です。社長の自宅に直訴して、この惨状を直接見てもらうのがいいでしょう】と勧告した。

無償修理で新築同様に
その結果、デベロッパーの社長はマンションを視察して非を認め、無償修理を約束した。だが、これで一件落着とはならなかった。住民側が図に乗り、様々な過大要求を持ちかけたのである。
そのため、デベロッパーと住民との間の話し合いの席上、私は住民側に次のような発言をした。
【売り手の非を認めたからこそ、私は今まであなたたち住民の味方として努力してきた。しかし、いつまでも無茶な要求を強硬に主張するなら、非難されるべきはあなたたちだ。良識をもって話し合いを進めることができないなら私は手を引きます】。
この一言で住民はシュンとなり、結局は両者とも私にすべてを任せることになった。私はこれを受け、決定については一切苦情を申し立てない旨の文書を両者から受け取ったうえで収拾を図った。
まずデベロッパーが【もうこのマンションには住みたくない】と言う入居者から販売価格に物価上昇分を上乗せした値段で部屋を買います。
買値の約1.5倍で明け渡して出ていった住民は20軒近く。これらの空部屋をタテ一列(8階建)に集約し、仕上げをはがし、クラックにはエポキシ樹脂を注入した(幸いなことにコンクリート強度は充分にあったし、配筋も特に悪いところはなかった)。 給排水配管も給排気管もすべて点検したうえで修理。新築同様になった時点で隣のタテ列の人に引っ越してもらう転がし方式で、順番に完全修理を実施していった。ゼネコンの社員4人が常駐して約1年がかり。修理完了した時には、内装、外装、設備ともすっかり新築のマンションに生まれ変わっていた。
私が乗りでしてから2年近く、費用はおそらく数億円はかかっただろう。当時、ある雑誌社からこの件についての寄稿をかなり熱心に勧められた。私も設計界、施工界の【他山の石】として発表したい気はやまやまだったが、誠意込め、しかも無償で修理工事を行ってくれた人たちに対していわゆる“武士の情”的な気が働いて取りやめた。その時の写真やデータ類はいまだに箱の中に眠ったままである。
←前へ戻る 次へ進む→ 【建築トラブル心得帖】のトップへ戻る↑