第3回  法令違反が決め手にならない建築トラブル裁判の実態
建築トラブルをめぐる裁判では、建物が建築基準法等に明確に違反していても、そのことですぐに決着がつくわけではない。
裁判では準備が大切。裁判の本質を理解し、大局を見極めてかた着手すべきだ。

大岡越前、遠山の金さん、水戸黄門、銭形平次 ― 。テレビで高視聴率を挙げているこれらの長寿番組には明瞭な共通点がある。必ず最後に正義が勝つ筋書きの“勧善懲悪”が基本ストーリーとなっていることだ。それらが当初は講談本の類で、そして今ではテレビドラマとして長い間人気を博してきた。勧善懲悪の思想がいかに我々日本人のなかに根付いているかを示すものと言えるだろう。

基準法違反に関心のない裁判官
勧善懲悪の思想は我々の思い描く裁判像にも反映されている。【お上(=裁判所)に訴えれば、どんな難事件でも間違いなく白黒をつけてもらえる】というのが善良な日本人の持つ裁判観なのだ。
まして建築トラブルの場合、設計者にとっても施工者にとっても手かせ足かせのように厳しく感じられる【建築基準法・同施行令】という大典がある。さらにそれに尾ヒレを付けた各自治体の条例などもである。裁判では、これらの法令に違反している欠陥建築に対しては、裁判官が立ちどころに法律違反を指摘し、是正命令を出してくれるはず。そう期待しても無理からぬことだ。
ところがである。いざ裁判となってみると、驚くことに裁判官は建築基準法など全く眼中に無い。
彼ら裁判官は、設計強度210kg/平方センチメートルの設計で建築確認を受けて施工された建物のコンクリート強度が、実際には140kg/平方センチメートルぐらいしか無くても一向に驚かない。また、【JIS規格SD30】という鉄筋の使用が設計図書にも請負契約書にも明記されているのに実際には全くの無規格品が使用され、断面積も引張強度もいずれも規格値より約25%も不足していることが判明しても、【それがどうした。 この建物は地震があっても倒壊せずに今もちゃんと建っているではないか】という反応を示すだけだ。そして、2年3年、時には10年もの長きにわたって論争を続けさせたあげく、【そろそろ双方で歩み寄って決着をつけたらどうですか。確かにこの建物は一部に品質不良の部分があるようです。そこらへんを勘案してお互い話し合い、和解をしてはいかがでしょう】と来る。これでは何のために裁判があるのかと、文句の1つも言いたくなる。
一方では、基規準・告示・通達・条例などに違反しないために、善良な設計者がどれだけ頭を悩ませていることか。前回述べたように、大規模組織事務所やゼネコン設計部などでは、優秀な若者の創造の芽を摘んでまで法規をクリアするための教育が施されているほどだ。
また、施工業界では、民間工事でとんでもないダンピング受注が行われることもある。それも金額だけでなく、工期のダンピングであることも多く、時には工費、工期両方という場合すらある。
しかし、どんな理由があったにせよ、一度受注したからには、適法かつ指定の品質の建物を竣工させるため、現場の作業所長以下全員(サブコンの人たちも含む)が血のにじむような努力をしているのである。
それなのに法の番人と信じ切っていた裁判官が建築基準法違反という重大な事実を一顧だにしないことはどうしたことか!
このような実情を公表することを私はこれまでもずっとためらってきた。というもの、まじめな技術者にとっては順法精神を著しく阻害させ、逆に悪徳業者にとっては、【インチキ工事をしたところで、実態がその程度なら、裁判沙汰にした方がいい】との損得勘定を教えることになりかねないと思ったからである。
しかし、【臭いものにはふたをし】うやむやにしてしまうには事はあまりにも重大だ。世界に冠たる法治国家と胸を張るわが国の法体系のなかで、建築基準法が実際に置かれている位置付けはどんなものか。基準法違反でも裁判官が一向に驚かないのは一体どうしてなのか。こうした建築トラブルをめぐる裁判の実態を明らかにすべく、本稿を書き始めた次第だ。

裁判では入念な準備を
建築トラブルを解決するための裁判にあたってはいろいろ準備をする必要がある。特に当事者が個人あるいは中小企業である場合が問題だ。
裁判の当事者がどちらも大企業である場合は、法廷で争うための軍資金に事欠くことはないし、顧問弁護士はもちろん、最近“法務局”を設けている企業も少ないので、対策も万全だ。また、どのような決着がつこうと企業間もしくは企業内の問題なので、庶民に関係することはない。
ところが欠陥建築が個人住宅やマンションである場合、あるいは中小企業が欠陥建物をつかまされた場合は話が別。裁判の経験が全く無いうえに軍資金に事欠くことも多く、当事者にとっては死活問題になる可能性もあるからだ。このような場合に相談を持ちかけられたら、建築家はどう対処すべきだろうか。
論語に【義を見てせざるは勇なきなり】という有名な一節があるが、正義感だけでは裁判を勝ち抜くことはできない。論語を持ち出したついでに孫子の言葉を借りれば、【敵を知り己を知る者は、百戦危うからず】という格言がある。建築トラブルの裁判では、敵とは単に裁判の相手方ではなく、裁判そのもの。裁判の本質をよく認識し、手持ちの材料だけで戦い抜けるか、何年くらいかかりそうかなど、細かいポイントまでよく見極めてから着手しなければならない。大局を見誤ったために、超大国アメリカが共産ゲリラに惨敗したベトナム戦争の例もある。準備のしすぎということはない。

裁判に関しての具体的なテクニックその他を説明する前段階の予備知識に予想外に誌面を費やすことになった。これでもまだバックグラウンドの説明としては不十分との感はぬぐえないが、次号からはできるだけ実例をもとにした各論に入っていくことにしよう。
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