第3回 法令違反が決め手にならない建築トラブル裁判の実態 | |||||||||||
大岡越前、遠山の金さん、水戸黄門、銭形平次 ― 。テレビで高視聴率を挙げているこれらの長寿番組には明瞭な共通点がある。必ず最後に正義が勝つ筋書きの“勧善懲悪”が基本ストーリーとなっていることだ。それらが当初は講談本の類で、そして今ではテレビドラマとして長い間人気を博してきた。勧善懲悪の思想がいかに我々日本人のなかに根付いているかを示すものと言えるだろう。 基準法違反に関心のない裁判官
裁判では入念な準備を 建築トラブルを解決するための裁判にあたってはいろいろ準備をする必要がある。特に当事者が個人あるいは中小企業である場合が問題だ。 裁判の当事者がどちらも大企業である場合は、法廷で争うための軍資金に事欠くことはないし、顧問弁護士はもちろん、最近“法務局”を設けている企業も少ないので、対策も万全だ。また、どのような決着がつこうと企業間もしくは企業内の問題なので、庶民に関係することはない。 ところが欠陥建築が個人住宅やマンションである場合、あるいは中小企業が欠陥建物をつかまされた場合は話が別。裁判の経験が全く無いうえに軍資金に事欠くことも多く、当事者にとっては死活問題になる可能性もあるからだ。このような場合に相談を持ちかけられたら、建築家はどう対処すべきだろうか。 論語に【義を見てせざるは勇なきなり】という有名な一節があるが、正義感だけでは裁判を勝ち抜くことはできない。論語を持ち出したついでに孫子の言葉を借りれば、【敵を知り己を知る者は、百戦危うからず】という格言がある。建築トラブルの裁判では、敵とは単に裁判の相手方ではなく、裁判そのもの。裁判の本質をよく認識し、手持ちの材料だけで戦い抜けるか、何年くらいかかりそうかなど、細かいポイントまでよく見極めてから着手しなければならない。大局を見誤ったために、超大国アメリカが共産ゲリラに惨敗したベトナム戦争の例もある。準備のしすぎということはない。 裁判に関しての具体的なテクニックその他を説明する前段階の予備知識に予想外に誌面を費やすことになった。これでもまだバックグラウンドの説明としては不十分との感はぬぐえないが、次号からはできるだけ実例をもとにした各論に入っていくことにしよう。 |