対策●トラブルに巻き込まれたら
 “正義”だけでは勝ち抜けない
日経アーキテクチュア 1992年5月11日号
建築の話が素人にはなかなか理解されないのと同様に、法律の話も、門外漢にはいかにも難しそうに見える。だが、紛争の当事者になってしまえば、そうは言ってられない。欠陥建築問題にも積極的に取り組んでいる建築家の井上博氏は、自身の体験に基づき、法律の場では、その場にあった特有の対応が必要である、と常々主張している。氏には本誌上で近々、紛争に直面した設計者の心得について連載してもらう予定だが、そのエッセンスをここで紹介しよう。

平面的集合住宅、つまり長屋は江戸時代から300〜400年の歴史があるが、立体長屋、つまりマンションの歴史はたかだか30年余りにしか過ぎない。
庶民の日常生活と裁判という観点から見ても、これまでは両者の接点はほとんどないといってもよかった。しかし、近年、マンションをはじめとする建築一般についての裁判(もしくは紛争審議)が増加しつつある。工事量の増加につれて昔風の“完全な仕事”ができにくくなっていることがその理由のひとつである。
もうひとつの理由は世の中がだんだん世知辛くなってきて、不備や欠陥(工事にしろ設計にしろ)を指摘されても、以前のように素直にそれを認めて手直しなどの弁償をせずに、何らかの形で開き直るケースが増えてきたということも考えられる。
なかには悪質な発注者がいて、工事中に、設計図書と異なる工事の様子を密かに記録しておいて、竣工時にそれをブチまけて工事費の支払いを拒絶したり大幅な値引きを要求するとういう例も時々耳にする。
いずれにしても“古きよき時代のニッポン”のように相互に譲り合って円満に解決するケースに代わって、裁判あるいは紛争処理機関に持ち込んで結着をつけようとするケースが増えてきたことは間違いないし、残念ながら今後とも増え続けそうな気がする。

庶民の常識と裁判の常識の違い
最も分かりやすい例で説明しよう。
建築基準法に大きく違反したまま建物が竣工した実例がある。発注者は施工者(この場合、設計施工であった)の描いた基本計画図に満足して、よろしく頼むと工事を発注した。
ところが、できあがってみると発注者の建物は独立ビルではなくて、同時に施工した施工者のビルと一体となっており、しかもその一体複合ビルは確認申請も出されていない完全ヤミ建築であった。当然のこと、発注者は怒って代金の支払いを拒絶し、施工者は工事代金取り立ての裁判を起こした。
発注者は、【こんな無茶苦茶な話は聞いたこともない。誰が考えても施工者が悪いに決まっている。まして裁判なら一も二もなく原告の非を理由にしてこの告訴を棄却するだろう】と思って裁判所の呼び出しにも応ぜずにいた。
ところが、裁判官は【原告の申し立てに被告が反論しなかったから原告の言い分を認める】という判決を下した。つまり、裁判官の判断基準はあくまでも法廷での論争(口頭の論争ではなく、双方から提出される【準備書面】による論争で、これには証拠写真,証拠書類,証言等も含まれる)であって、建築基準法違反の有無などを、裁判官が積極的に見極めることはないのである。
さらに、当事者のどちらか(この実例の場合は、被告=発注者)が原告の基準法違反を述べ立てても、基準法に違反しているという事実だけで裁判の結果が決まるということは絶対にない。裁判での主張は、@誰が、Aいつ、Bどこで、C何を、Dどうした。Eその結果、当方はこれこれの損失をこうむった―。
このような内容で、@〜Dについては、そのひとつひとつに関する、はっきりした証拠物件や証拠書類が必要である。これがそろっていなくて単に【相手は基準法違反行為をした。したがって法を犯したから相手が悪い】だけでは法廷闘争上は何の足しにもならないのである。これまでの日本の庶民のほとんど100%は、裁判に縁のない生涯を送ってきたから、【基準法違反=敗訴】というように考えがちであるが、実はそうではないよ、というのが今後、裁判にかかわる人に忠告してあげたい基本の第1番目である。

裁判官説得術
以上述べたように【法廷で争う】ということは、日常生活の常識とは一種かけ離れた面がある。こう断定すると法曹界の人からは大きなクレームが来そうであるが、筆者の体験に基づく実感である。本稿で言いたいのは、法廷で争う場合には日常の常識とは別に、法廷の常識というものがあることを絶対に忘れてはいけにということである。
次に言いたいことは、建築裁判は必然的に技術裁判となる。躯体がらみの欠陥(強度不足,配筋や溶接の不良,コンクリートの品質など)の場合には特にそうである。この場合、裁判に引きずりこまれた技術者として考えるべきことは、どういうふうに説明すれば裁判官に問題の本質を正しく理解せしめ得るかということである。
例えば、210s/平方センチメートルで設計された建物のコンクリート強度が100s/平方センチメートル前後しかなく、しかもその建物は竣工して人が住んだり使用したりしているとする。こんな場合、裁判官はよく【この建物は一体どのくらいの地震に耐え得るのですか】と質問する。
ところが、なまじ構造の知識のある人ほどこの質問には答えにくい。かえって構造に無知の人の方が【先日の地震は震度5と発表されましたが、あの時は何ともなかったから震度5までは絶対に大丈夫です】と、自信をもって答えることができる。すると、裁判官は【なるほど震度5までは大丈夫なんですね】と言って、強度不足は問題外となってしまう。この辺の呼吸がのみ込めていないと、思わぬ敗北を喫することがある。
絶えず問題を起こして裁判慣れしているゼネコンとその顧問弁護士はこの【裁判官説得術】にたけている。他方、【初めて法廷にのぞむまじめ技術者+まじめ弁護士】のチームは、弁護士は技術者の、技術者は弁護士の力量をお互いに過信していて足並みがうまくそろっていないために、思わぬ所で足払いをかけられるような結果になる。

裁判問題研究会の提案
マンション問題と同じく、裁判も建築士にとって未知の分野である。この未知の分野に挑んでいるパイオニアの数は非常に少ないけれどもゼロではない。これらの建築士と弁護士の有志が集まって建築裁判の諸問題を検討し、論じることができれば、紛争を未然に防ぐ、あるいは正しい解決を早めることに有意義だと思われる。

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