■大規模修繕のモデルケースを目指す
 当時の管理組合理事長、現在は専従事務局長の岩井田誠一氏から、大規模修繕の話を持ちかけられたのは、去る60年9月のことである。早速、現地を訪問して大雑把な視察を行い、事務局の人達とヒアリングをしたり、新築当時の設計図(一部しかなかった)やその後の補修工事を記録した関係図書類の保管状況を見せてもらった。
 敷地内の植栽や遊具の手入れが行き届き、建物も一応小規模な補修は適時に実施しているようで、これまで相談に応じてきたいくつかの民間マンションのひどさに比べると、ずいぶん程度は良さそうに見えた。しかしよく見ると、経年劣化のほかに、建設当初からの問題点もありそうで、給排水や換気などの機器類には寿命の近づいているものもある。大規模修繕に取りかかる前に団地全体の現状を正確に把握することが必要だと思い、そう進言した。
 入居後35年もの長期に渡って住宅ローンを払い続ける人もいるからには、建物の意匠、構造、設備の全面に正しい維持管理を行って、機能と資産価値を保持しなければならない。それなのにここ数年来の風潮を見ていると、屋根防水と称して単に塗膜防水剤を塗布するだけとか、鉄部はろくに錆び落としもケレンもせずにペンキを上塗りするだけとか、 要するに建物の基本を理解せずに一時的な膏薬貼り的な補修が横行している。これでは近い将来、「欠陥補 修騒ぎ」が起こって、建設業全体の社会的信用の下落につながるのではないかと、かねがね憂慮していた。
 幸いにもこの団地は大手・中堅の建設会社の手による公的分譲住宅だから、14〜15年という年月が建物に及ぼす影響をここではっきり見定めておけば、今後の貴重な資料になると思った。
 わが国の建設業界は、新築に関しては様々な手法の開発が進み、ノウハウもかなり蓄積している。しかし、既存の建物の診断や補修に関しては経験不足で、常識的な、リーズナブ ルな手法は未開拓。放置しておけば、上述のようなインチキ手法が定着する恐れもある。
 それらを考え合わせて、今回は良い機会だから、的確な診断とその結果に基づいた正しい補修工事を行い、 あるべき補修の道を拓く第1歩にし たいとの思いが強く働いた。こうしてこのプロジェクトはスタートした。
この団地ではパソコンを導入した管理がなされている。上図はその打ち出し例。
■住民への説明にひと苦労
 まず、管理組合の役員さん達を相手に、我々の意図を説明し、理解してもらうのにかなりの時間を割かねばならなかった。
 私自身、専門的な内容を素人相手に分かりやすく説明するのは割と得意だという自負心があった。黒板に図解しながら説明することおよそ3時間。「さて質問は?」と問いかけたところ反応がない。 3時間の説明がさっぱり理解されていなかったのである。さすがの私も がっかりしてしまった。「それでは」とばかりに次回では、よりシンプルな断面図や機能図などの掛け図や説明書を用意し、3時間に亘って役員さん達の表情をよく見ながら言葉を選んで説明した。この説明でどうやら建物の構造、機能を始め、診断の必要性やその内容などを理解してもらうことができた。
 この時に使用した各種説明図や資料は、毎月発行されている団地新聞に掲載されて、住民の合意形成に利用された。その後も、診断、修繕設計、修繕工事と3年度にまたがる大事業に踏み切るまでには、理事会や役員会などへの詳細な説明を必要としたが、その間も団地新聞が毎号、大規模修繕の計画についての説明記事を掲載し、住民の合意形成を得るのにたいへん役立った。
 最終的には全住民に呼びかけて全 体説明会を企画し、大きな掛け図を作成して我々の意図を分かりやすく説明した。結局、合意に成り、同時に筆者をチーフとする技術者グループ(後述)に建物の診断、修繕設計、工事監理が委託されることになった。 まずはその診断であるが、これは意匠、構造、外構、強電、弱電、設備、室内専有部と、マンションのすべてに亘って行った。その手法、内容および結果については長年の良きパー トナーである汎建築研究所の星川晃二郎氏が雑誌「建築知識」1986年10月号にかなり詳細に報告しているので、ここでは省略する。
■大きなバラツキが出た施工者入札
 診断を終え、その結果に基づいた修繕設計図と仕様書、見積要項書を完成させた。次は施工者の決定である。
 住戸1,506の団地で、様々な人が住んでいるから、ゼネコンを始め、各種サブコンやメーカーなどの推薦や押し付けが始まるのではないかと、最初は危倶していた。が、この団地の人々の良識に感心したことは、そのようなことを言い出す人は1人もなく、おかげで設計・監理者である我々に施工者選定の件は一任されることになった。
 選定には指名入札による方法をとった。入札に参加する業者は、新築時の施工者に名を連ねる7社と、近年補修工事で実積を上げている3社を選び、理事会から承認された。当初建設した7社を選んだのは、自社で建設した建物は最後まで面倒をみるのが当然であろうという気持ちと、そろそろ大手ゼネコンも本気になって補修工事に取り組んでもらいたかったからである。それには総工費10億円を超える今回の工事は、その踏み台として絶好の機会と考えたのである。
 しかし、結果は補修工事に精通した会社と前記7社の見積もりにはかなりの差が出た。世評通り、当初建てたゼネコンは高かった。提示された中の最高額は、最低額の1.5倍になるほどであった。
 大手ゼネコンは補修工事の実績が 皆無のはずはないにしても、自社の 技術として蓄積するまでに至っていない。このため、下請けから出された見積もりを十分に検討することなく積み上げて、自社の見積書を作ったのではないか。その根底には不慣れのために、必要以上の安全率を見込みたくなるという心理が働いているのではなかろうか。一方、補修に慣れた会社はためらうことなく、工事単価を入れているようであった。これらが両者の見積もりに差を生じさせたのであろう。
 結局、補修工事は新築時に関係のない2社で分担してもらうことになった。最低の見積額でも管理組合の準備金をかなり上回ったので、ネゴシエーションの段階でベランダ手摺り壁の内側その他、仕様を落とした個所もあった。ただし、第1棟目の仕上げ工事に入った段階で、「外壁が立派になっただけに、ベランダの仕上げが粗末で目立って困る。もっときれいにできないものか」とクレームがつき、理事会に相談したら原案通りの仕様に復活して、その分の追加支出を認めてもらうという一幕もあった。
 補修工事費は、1戸当たり約70万円。ただし、完工後の増減精算項目も若干はある。
 施工会社、着工日が決まると、また住民へのPRがたいへんである。全19棟を2社で分担して、約1年間の工期となる。全体説明会で大筋の説明と質疑応答を行い、その結果はすぐに施工計画にフィードバックした。また、棟ごとに着工前説明会を開いて、きめ細かい説明書を配布したり、注意事項やお願い事項を文書で伝達したりした。
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