もちろんこのような個所は原寸場の床の上で、設計者,監理者,ゼネコンの鉄骨担当者,ファブの原寸工や職長等が一緒に相談して不備の個所を1つずつ改善して、現場でうまく納まるように、つまり建物完成後に雨漏りや地震の被害等が発生しないように処理することとなる。
この原寸図は、単に柱だけを描くのではない。柱と同時にそれに取り付く大梁や、屋根を構成する勾配部材、さらには大梁と小梁、それらと鉄骨階段の取り合い等、およそ現場での鉄骨組み立てに関するところはすべて原寸図でチェックする作業である。
木造住宅の場合でも、棟梁の緻密な下拵えがあればこそ、棟上げは順調に行われるものである。鉄骨造の場合でもまず、設計図→工作図→原寸図と、各段階での綿密なチェックを経ていないと、いざ現場での鉄骨建方という場面で、いろいろな不都合が生じる場合があり、その不都合の修正に大変な時間と手間と金銭を要することがある。(本件もこの一種である。)
さて、原寸検査も無事に済むと、次は柱,梁,コアブロック等を1個ずつ製作する段階となる。なお、ここで良心的な設計者や監理者であればファブの溶接工の技量検査を行う場合もある。溶接工は、1人1人国家試験を受け、その資格を有している者である。この溶接工の資格について説明するなら、自動車における運転免許(自動車の場合でも、普通1種,普通2種,大型,特殊車輛,自動二輪車等々があるのは周知のとおりである。)にもいろいろの種類があるように溶接工免許にも、
 ●手溶接免許 ・・・・・・ 上向き、立向き、下向き
 ●半自動溶接免許 ・・・・・・ 上向き、立向き、下向き
 ●その他の溶接免許
というように溶接の難易度に従って各種の免許に分かれている。そしてこの免許は毎年免許の書き替えが必要で、しかも3年毎には更新試験、しかも実技試験を受けなければならないものとされている。何故なら溶接工は、作業中はずっと同じ姿勢で、溶接棒の先端と溶接面が触れるか触れないかの際どい作業を続けなければならないから体力と視力を消耗するし、高齢化すると体力の維持が困難になるから、更新毎にその実技能力はチェックを受けることとされているのである。また、溶接工の間の卑近な話として、朝の出勤時に夫婦喧嘩して出ると、その日の午前中には上手な溶接はできないとさえ言われている。それ故、使用鉄骨量が1000トンとか2000トンとかを超すような大規模建築の場合には、工事監理者は、溶接工が数十人も居るようなAクラスのファブを指名し、国家資格としての免許のほかに、この工事のための技量付加試験を行う。そしてこの付加試験の結果によって、この工事に従事する溶接工を指名する場合も多いのである。単に有資格者というだけでは任せられないというくらいに溶接作業は鉄骨構造物では大切な点であり、鉄骨建築の命とも言うべき作業である。いかに丈夫な鉄骨を多用しようとも、この結合部分たる溶接部分が脆弱であれば、当該建築物の強度はその溶接部分の強度を基本的に超えることはできない。応力はすべてここに集中するからである。
溶接工の技量付加試験を行う頃には、柱や梁やコアブロック等の準備工事が出来ているから、監理者はファブの工場に出向いて「開先検査」を行うこととなる。この検査は、溶接する部分の形状が設計図通りに正しく削ったり、磨いたり、或いはボルト穴の位置が正確にあけられているか等々についての溶接作業前の検査である。本件工事においては、鉄骨の使用量が僅か30トン程度であることから、工作図のチェックは為されていないかもしれない。更に規模の点からは溶接工の技量付加試験も行われてはいないものと思われる。また、本件建物の現実の過程から推測するに、「開先検査」は全く行われていないであろう。開先検査が先行した場合「裏当金がついていない」とか「完全溶接部分が隅肉溶接になっている」などの不祥事は絶対に起こり得ないことである。開先の有無、裏当金の有無は一目見さえすれば誰にでも分かる簡単至極なことだからである。開先が取ってなければ、そこは隅肉溶接しか出来ないと分かるからである。

ゼネコンやファブとしては、職業として絶えず大小さまざまの建物を手掛けている。従って、本件の鉄骨工事は、その総重量が「僅かに30トンの小さな仕事」と思えるかも知れない。それ故に一々細かい点まで注意が行き届かなかったのかもしれない。しかし、建物の発注者にとっては億に近い何千万円という大金を出費し、通常は一生に一度の大事業である。大企業が数万平方メートル、数十億円〜数百億円の大工事を発注するのも、一個人が数千万円の住宅を発注するのも、発注者の心理は全く同じで「立派な建物を造って欲しい!」と言う気持ちの中には「欠陥のない建物を!」という熱烈な心情が込められている筈である。ことに木造ではなく、鉄骨造の居宅が発注されるのは、阪神・淡路大震災という未曾有の震災を経た今、極めて真摯なものがあるように思われる。

さて、以上によって「正しい鉄骨工事の進められ方」を一通り説明した。もちろん、すべての鉄骨建築が前述の手順通りに進められているとは限らない。鉄骨使用量が100トン程度の場合には、溶接工の技量付加試験までは行わないのが普通だとも言えよう。
しかし、工作図,原寸検査は、正確な施工を目指す限り必須であり、製作規模の大小を問わず必ず行われていなければならない。仮に、「開先検査」としての検査は或いは省略されていたとしても、原寸検査が行われるならば開先の形状や裏当金等は当然原寸図には記入してあるし、その通りに製作しないと以後の製作で困難を生じるのはファブであり、ゼネコンに他ならない。
正しい建築鉄骨の作り方の理解を助けるために、(社)鋼材倶楽部,(社)鉄骨建設業協会,(社)全国鉄構工業連合会の小冊子
【鉄骨工事の基本】を綴じ込んでおくが、この小冊子よりも別添資料として提出する(社)全国鉄構工業連合会によるビデオテープ【信頼される建築鉄骨】の方が視覚聴覚同時に訴えるから、はるかに分り易い。因にこのビデオの実質的編集責任者は本件鑑定人井上博である。
そして、この綴じ込みの小冊子の次にビデオや小冊子の内容と同じように正しく製作されている鉄骨構造建築(規模や構造が本件建物によく似ている)の工場内での製作過程の写真と説明文を添えて、比較の為に本件工事における●●鉄工所の工場内製作状況も、同様に写真と説明文を添える。これらの写真は株式会社●●による工事写真帳のうちNo.82〜87である。
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