井上博の提案シリーズ趣意書
井上博の提案シリーズ 2000年8月
私井上博は、昭和36年に(株)井上博設計事務所を設立以来、幸いにして顧客に恵まれ、特に倉庫業、流通業に関しては、事務所開設時の第1作としてプレストレストコンク リート造4階建て、延べ4000坪(13000平方メートル)の無柱倉庫を出発点として大小様々、百数十棟の倉庫建築の設計監理を行い、また昭和40年代のボウリング場全盛時の数年間には、全国各地でおよそ100棟近いボウリング場の構造設計と監理に従事しました。ボウリング場の建物は、大梁のスパンが30mとか40mとかの大スパン工事がごく一般的で、それらの梁材としては鉄骨造もしくはPC造(プレストレストコンクリート造)を使用しました。その他、大小のマンション、個人住宅、店舗、オフィスビル、工場等々も数多く設計しました。自分で設計した建物は必ず竣工まで、また構造設計だけに携わった建物でも躯体完了までは必ず現場での工事監理を行いました。さらに現場での監理以前に、鉄骨工場の工場検査、溶接工技量検定試験、或いは溶接施工性試験等々を行ったので、それらの試験の為に北は北海道東北海岸の紋別から南は沖縄まで、日本全国ほとんど隈無く走り回り、各地のゼネコン、サブコン、設備工事会社、生コンプラント等々を詳しく見て回り、担当者の人達とできるだけ意見を交換し、或いは体験談を聞かせてもらったり・・・など致して今日に至っております。 このように、無我夢中のうちに40年近く過ぎたということは、ひとえに自分の設計した建物或いは自分が構造を担当した建物についての完全性を期したからに他なりません。

敗戦後50年、私の建築設計者生活40年を振り返って見ますと、戦後の無一物から今日の繁栄に至るこの期間は、技術者にとっては正に宝の山に分け入ったような貴重な経験の連続でした。そしてその間ずーっと私は、竣工引き渡しの時点で「この建物は、現時点における法令類を満足し、且つ私の全知全力を傾注して仕上げたものです。私はこの建物をお引き渡し出来ることを建築技術者としてうれしく且つ誇りに思います」と、言い続けてきました。

ところが、私にとっては宝の山であった社会の変化と技術の進歩も日本の建築関連技術者の多くの人々にとっては、必ずしも宝の山ではなかったようです。新材料、新構法の目まぐるしい変化は、その一つ一つを十分に吟味して咀嚼する暇がなかったかに思われます。その結果、昭和50年頃から欠陥マンション、欠陥コンクリート、欠陥溶接等々が、3、4年置きに次々と現れてはマスコミを賑わせてきました。最近では、トンネルのコールドジョイントやコンクリート剥落事件が話題となっています。これらの問題が発生するたびごとに私はそれについての考えや対策の提案等を色々な雑誌、新聞等に発表してきました。これらの古い論説を最近読み返して見ますと、十数年、二十数年昔に提案した事柄が現在でも少しも古ぼけていないことを発見しました。ということは、世の中は変化しても建築技術はたいして変わっていないと言うべきか、あるいは問題の掘り下げ方がいつもいつも不十分で、その場逃れ的に過ごされて来たのではないかと反省されます。
そこでこれらの古い論説の中から実行用意で効果の大きい問題を要約して提案シリーズとして発表することにしました。おのおの提案に対してのご意見をお待ちしております。
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