今だからこその品質問題考 崩壊した技術再生のための3つの提案
日経アーキテクチュア 1988年12月12日号

建設ブームに沸き立つ現在、建築技術者は何をなすべきか。
今こそ品質問題を注視せよ、と構造家井上博氏は説く。「昭和40年頃まであったわが国建築界の技術者魂と職人気質は、その後の建設ブームやオイルショックで崩壊してしまった」、「品質管理の重大さに目覚めてから打ち出した色々な対策もどうもピント外れ。このままで良いのか」。井上氏の舌鋒は鋭い。(本誌)


建築技術崩壊の10年間
高度成長の始まった昭和33年から48年までのわが国の全国着工延べ面積の変遷を見てみると、33年に4200万平方メートル、38年に8400万平方メートル、43年1億6000万平方メートル、48年2億8000万平方メートルと、5年ごとの倍々ゲームの増加ぶりがはっきり示されている。その後、"冬の時代"に突入して停滞したが、58年の1億9000万平方メートルを最低値として再び増加を開始し、62年には2億4000万平方メートル近くまで伸びた。
品質低下の根本的原因
素人でも分かるように、建築は手作業による現場ごとの一品生産である。コンベアラインによる自動生産ではないから、33年から48年までの15年間に7倍もの生産量の増大は、それ相応の作業人員の増加でもない限り、土掘りや機械や揚重機械の少々の進歩や能率改善運動などでは対応できるはずがない。なのにこの15年間でも躯体関係の就労者の増加はわずかに2.5倍でしかない。建築物の品質低下の根本原因はここにある。
それでも40年頃までは昔通りの技術者魂と職人気質で、何とか品質を落とさずに量をこなそうと業界全体が歯を食いしばって懸命の努力を続けたものだった。ところが42〜43年になって国民全体が経済的ゆとりを感じ始めた頃、ボウリングブームがまき起った。
ゲームをするための待ち時間が5〜6時間はザラという熱狂的ブームのおかげで、どのボウリング場も開店後3年以内には投下資本が回収でき、4年目には節税対策として新規のボウリング場を建設したものである。あらゆる企業が続々とこの新事業に参入し、3〜4年の間に全国津々浦々に3500ものボウリング場が建設された。
ボウリングのマシンはほぼ100%が輸入品であったから、それはすべて商社扱いとなった。商社はマシンの輸入販売だけではなく、新たに建設部を新設して、資金立て替えの代わりに建設工事の元請となった。単に元請となったのみならず、元請の立場を利用して自社の系列下の建材の使用と下請の採用をゼネコンに求めた。かくて当時のゼネコン現場員は「商社の指定だらけで、我々の技術的発言力はゼロとなった。我々はもはや技術者ではなくて、指定材料と指定下請の手配師です」と自嘲する有り様であった。
短工期第一主義の崩芽
一方、ボウリング場は開店当日から毎日何百万円という現金が転がり込んでくるから、無理を承知の超短工期を発注条件にし、ゼネコンも目をつぶってそれを受けた。
私のようなまじめな設計監理者が現場に出掛けてあれこれと細部にまで指示をしていると、施主が「そんなうるさいことは言わないでくれ。少々おかしな所があっても、3年で元は取れるんだから細かいことは放っといて、それより1日でも工期を短縮できるように現場員にハッパをかけてくれ」と言う始末。加えて40年頃から生コンのポンプ打ちが一般化し、工期短縮、省力化という掛け声で、スランプ22〜23cmのジャプコンが常識化するのはアッと言う間もないくらいであった。
こうして40年代の中期に建築工事の伝統技術と伝統精神はほとんど消滅してしまい、品質という概念も薄れて短工期達成にまい進するのが常識となってしまったのである。
ボウリング場ブームが去った後にはマンションブームが到来した。今度は総合商社の代わりにデベロッパーが大手を振ってまかり通り、ゼネコンも設計界もその支配下に組み込まれて、依然として品質管理ゼロと言いたくなるような低単価工期の工事が各地で続行された。ここに至って建築技術の崩壊はいっそう加速されたのである。
オイルショックの鉄道
その最後の仕上げが48年のオイルショック・狂乱物価である。この48年は日本の建築史上特筆されるべき1年で、まず1〜3月の東京港湾労働組合のストで原油の陸揚げが行われなかったため、セメント工場では石灰石を焼成してセメントを作ることができず、全国的にセメントの在庫がゼロとなった。
5〜7月には千葉県や岡山県の石油コンビナートで爆発事故が起こって塩ビ製品(Pタイル,ビニール管,電線被覆材)の極端な品不足に悩み、さらに夏になると西日本の異常な渇水で製鉄所は冷却水不足のため操業短縮となって鋼材も不足、これらの建材無い無い尽くしで唖然としている建設業界に最後の鉄槌を下したのがオイルショックによる狂乱物価であった。
スーパーマーケットでの日用品の値札が毎日貼り替えられるのにつれて、建設労働者の単価もウナギ上りとなり、現場の責任者は焼け鉄板の上に追い上げられた猫のような苦しみを味わわされた。何が何でも1日も早く竣工させて施主に引き渡す以外に生きる道はないことが明白となれば、材料の吟味も施工管理も一切目をつぶらざるを得ない。こうしてこの大混乱は、深く大きな後遺症を建築界に残したのである。
実情が暴露され詳細に報道された中には、施工者として中小ゼネコンだけでなく大手ゼネコンの名前がしばしば登場していた。技術の崩壊が大手にも及んでいたことを証明するものだと言っていい。
同じ51年には、某大手銀行の事務センターの新築工事現場で、こんな事件もあった。5階まで建ち上ったコンクリートにモルタルを塗るのに、どうもうまく塗れなくて困った左官屋さんが、あれこれやってみた結果、どうもこれはコンクリートが悪いんじゃないかと言い出し、調べてみたらやはり欠陥コンクリートで、ついに5階までの躯体を全部壊してやり直したというものである。
設計事務所,ゼネコン,生コン会社ともに日本の建設業界のトップづくめのチームであったのに、左官屋さんが疑問を抱くまで誰一人コンクリートの品質をチェックしなかったというところに当時の業界全体の姿勢がうかがわれる事例であった。この事件によって、設計界も施工界も改めて品質管理の重大さに目覚めたのである。
反省,対策はいっぱいあったが・・・・・・
ここに至ってようやく官,学,民それぞれの立場から指導,通達とか規準改定,鉄骨工場認定制度,鉄構管理技術者制度,コンクリート技士制度など、色々な反省と対策が打ち出されるようになった。また一方、大手ゼネコンではデミング賞を目標としてTQC運動がひと頃花盛りとなった。
これら各方面の努力によって一度は見失われていた建物の品質が少しずつ取り戻されて来たことは喜ばしいことである。しかし、どこかピントが狂ったままで状況が固まりつつあるように思えて仕方がない。
どこが狂っているのか、どこが気になるのか、と考えてみた結果、どうやら品質管理の方法論だけが先走っているのではなかろうかという気がしてきた。
TQC運動にしても、業界最大手のゼネコンが中心となった運動であるから、必然的に高度な理論体系の構築に走ったとしても不思議ではない。建築が手作業による現場一品生産である限り、品質の基本をなすものは技術者や職人が体で覚えて身に着けた技術であるはずなのに(残念ながら現在はまだこの段階から脱却できていない)、それを抜きにして、と言うよりも個人的技術・技能の回復を諦めた上での技術論・品質管理論が叫ばれているようである。
50年代に入ってからは超高層や巨大ビルが華々しく競い始めた。それらの巨大プロジェクトは昔ながらの泥臭い現場の概念とはかけ離れて、最初から最後まで十分に計算し尽くされた工程管理と品質管理によらなければ、1歩も進めないのは当然である。ここで、従来通りの泥臭い現場運営の中小建築と、TQC理論通りの巨大建築の製造方法がはっきり分れてしまった。
忘れられがちな“泥臭い理論”
問題はこの、総工費何百億円もの巨大工事によって開発された手法が、何となく一般的に中小現場にまで押し付けられようとしていることである。例えば61年度の全国着工棟数105万棟のうち、延べ面積3000平方メートルを超す建物はわずかに5600棟、たったの0.5%でしかない。巨大現場の論理が通用する建物の数はほんの数えるほどしかなくて、日本中のほとんどすべての現場は依然として昔ながらの泥臭い運営によって進められているのである。
“巨大工事の理論”は現在ではもう完成に近付いていると言ってもよいであろうが、それに目を奪われて“泥臭い工事の改善理論”が忘れられていることを私は指摘したい。
前述したように官,学,民それぞれの立場から品質向上が叫ばれたが、そのための各種委員会の動きを見ると、当初の意気込みがどうであろうとどの委員会もいつの間にか審議の内容が抽象化され理論化されて建前論と化して行ったきらいがある。そして品質確保運動の実践の証しは無数の書類という状況になったのである。
総合施工計画書,主要工事別施工計画書,施工管理計画書,施工要項書,施工品質管理表,施工管理実施記録,・・・・・・。巨大工事現場では必要不可欠のこれらの書類も、10億円以下ぐらいの中小現場では有害無益とさえ言える。なぜなら、書類作りに慣れない現場員は、建物を作るよりも書類を作ることに大きなエネルギーと神経を消耗し、あげくの果ては施工要項書のように工事に先立つべき書類が工事の後で作られるようなことになってしまう。
ならば書類のヒナ型を作っておけば良いではないかと言うことになりそうであるが、ヒナ型書類に必要数字を書き込むことで技術が身に着くわけがない。むしろますます技術離れするだけである。
鉄骨業界の工場認定制度にしても、生コン業界の品質管理監査制度にしても、驚くほど膨大な書類が用意され整備されねばならぬことになっている。これはそれぞれの制度の制定に際しての委員会の内部で、学者的良心と官僚的満点感覚に押されて、実務家委員の感覚がいつの間にかまひしてしまうからであろう。100の要求に対する10の理解よりも20の要求に対する18の理解の方がお互いに納得しやすいし、事態の改善にはより実現的だと思うのだが・・・・・・。
新聞掲載・著書等のトップへ■  次のページへ