『欠陥マンションの底にあるもの』
月刊エコノミスト 1977年2月号
建設業界の技術力、精神の荒廃
欠陥マンションが社会問題となっている。技術の未熟、無理なコスト切下げ、手抜き工事など原因はいろいろあるだろう。しかし筆者は、根底に流れるものは、 建設業界における技術者の技術力および精神の荒廃であると断ずる。
これは、1人の建築家の内部告発である。
ゼロ戦と戦艦大和
 歴史に残る名機「ゼロ戦」の製作に当たって、設計主任の堀越二郎氏はわずか1グラムの重量を節約する為に、機体や翼のリブ(小骨)に小さな穴をあけさせた。また、軽量高強度の超々ジュラルミンが開発されればすかさずこれを採用し、あるいは、当時の海軍の定めた飛行機の安全率を部分的に緩和した方が合理的だと判断して、軍当局を説得してこれを認めさせた。
 そして各材料ごと、部品ごとの何百回というテストに基づく設計のやり直し。最後に、試験飛行の結果を踏まえて再び設計変更と改良・・・・・・。これほど綿密に、また細心入念に実地テストを繰り返しつつ完成した飛行機でもなお、最初の1年ほどの間には何人かのベテラン・パイロットが思いがけない事故のために命を失った。こうして当時の常識をはるかに超えた名戦闘機が誕生した陰には、平凡ではあるが絶対に忘れてはならない条件が1つある。それは、繰り返し繰り返し実物テストを行った、あるいは行うことができたことである。
 一方、戦艦「大和」も当時の建艦技術の粋を尽くし、国運を賭して造られた。これも当時の常識を数段も超えたものであったことはいうまでもないが、飛行機のように手軽に部品ごとのテストができない。まして完成品を実践さながらに振り回してスクラップになるまで実験を重ねるなどは到底不可能である。それよりももっと根本的には、設計に当って「航空機による攻撃」を考慮に入れてなかったことがあの悲劇的な最後に直接つながったのである。
 ゼロ戦と戦艦大和の誕生の条件の差、つまり完成品が毀れるまでテストできるかどうかの問題は、今日の私たちの身の回りのすべてについていえる。時計、カメラ、自動車、家電品などは前者であり、大型船舶、建築物、都市計画などは後者である。
 前者については日本人の勤勉、熱心、器用さなどによっていまや世界の水準を超えてしまったが、 後者についてはどうであろうか。果たして国家百年の、人類百年の大計が十分に踏まえられているであろうか。大鑑巨砲主義時代に航空戦が考えられなかったように、現在の私たちも何か大事な条件を見落としてはいないだろうか。
 私の専門である建築の分野についていえば、戦後の建築界のあり方はゼロ戦の製作過程によく似ている。ただし、試験飛行なしという点で決定的に異なった結果となるが・・・・・・。超々ジュラルミンに匹敵するような高強度の鉄骨や鉄筋も出来たし、水に浮く軽量コンクリート版も出来た。その他、専門家でも「記憶にございません」といわざるを得ないほどに多種多様な新建材、新技術、新工法が開発された。これらの新開発物の認定で、法令が緩和された例も多い。
 新開発の材料や技術はもちろん実験室で十分テストされた上、通産省や建設省の認可を受けるためのテストの難関を突破しているから、それ自体の安全性は信頼してもよいとしよう。ここまではゼロ戦の設計過程によく似ている。問題はその先である。
 建物は一品生産であり、出来あがったものの強度は戦艦大和と同じように、実戦(大地震や大災害)に関する性能テストができない。多くの新建材を使用し、新技術をとり入れて作るのであるから、あらゆる場合を想定して、いくら慎重にしても慎重にに過ぎることはないし、できることなら、いくつかの建物が大地震にあうまでは量産は見合わせたいぐらいである。
 近時、地震の研究も大いに進み、コンピューターを駆使しての耐震理論もほぼ完成したかにみえるが、戦艦大和における空からの攻撃のような、当初予想もしなかった条件や結果が必ずといってよいほど発生しているからである。近い過去を振り返ってみても、昭和21年の福井地震の大和百貨店崩壊では異種基礎の併用が、39年の新潟地震では流砂現象が、43年の十勝沖地震ではせん断補強筋問題が、また一昨年の大分地震では直下型という新手の地震動が、それぞれ従来の理論の盲点と して登場した。
 もちろん、これらは以後の設計理論に組み入れられているが、現在の人類の知識では、まだまだ自然の脅威を100%克服したと自惚れるのはおこがましいといわねばならない。学者も技術者も、人智の限界、技術の限界を知って神を恐れねばならないのである。
工事量のインフレ
 だが、こうした問題もさることながら、最近、世論のヤリ玉にあがっている欠陥マンションについ て、私はなによりも、建設業界における技術者の技術力の低下と精神の荒廃を指摘したい。そしてこれをもたらした元凶は、30年代から40年代前半にかけての高度成長における工事量の怒涛のような急増であった。
 年間着工延床面積は昭和33年の4,200万平方メートルから5年ごとに確実に倍増を重ねて、15年後の48年にはなんと7倍、2億8,000万平方メートルにも達した。生コンクリートの出荷量は9年間に6倍。一方、これに対応すべき労務者数はわずかに2.3倍にしか伸びていない。
 建設業における自動化、機械化、量産化率が他産業に比べて極端に低いことを思う時、このグラフは極めて重大な意味を持つ。つまり、技能工1人1人のノルマが増大したために、現場の職人たちも技術者と同様、昔のように技術や技能を一歩一歩着実に身につける間もなく、ひたすら量をこなさねばならなかったことを物語っている。
 さらに、高度成長時代にはすべての経営者(工事発注者)は1日も早く工事を完成させて収益をあげることしか念頭になかった。出来上がったものに少々の潜在的欠陥があったところで、建築費は実質的には数年で償却できるのだから、とにかく早く造れといい、工事業者も受注競争に成行き上、無理な工期を承知で受け立たざるを得なかった。かくして建設業者の新米技術者が新米職人を相手にして、新米設計者の欠陥設計図に従って昼夜兼行で突貫工事に励んだのだから、顕在化するしないにかかわらず、欠陥建物が数多く出来たところで不思議はない。工事監理を担当していたわれわれ設計者が短工期と欠陥工事のつながりをいくら主張しても、しょせん、発注・受注両者の一致した利益の前に空しく埋没する場合がほとんどだった。
 工事の量的インフレと、技術および材料の質的インフレの大波が同時に押し寄せてきたために、それまでのペースで細々と養成してきた技術者の数ではとうてい間に合わず、巣立ったばかりの若い技術者の卵を大量に採用して、熟成期間を与えるいとまもなく、すぐさま第一線に投入して量の消化を図らねばならなかったありさまは、太平洋戦争末期の航空消耗戦に、若い未熟練パイロットを投入さざるを得なかったのとよく似ている。

半人前の技術者たち
 建築に限らずどの分野でもそうだが、技術者は学校教育だけでは絶対に生まれない。実務の場でさまざまな事例に直面しながら先輩技術者から、時には下請の職人から、技術者としての心構えや身の処し方、判断の仕方や現実に即応した技術処理の方法などを教えられ、身につける、いわゆる熟成期間がどうしても必要で、個人差もあり例外もあるが、最低7、8年から15年くらいの経験を経て初めて一人前に近づくといえる。
 ところが、昭和30、40年代の新卒業生は戦後の教育哲学の混乱、空白期に誤った自由放任主義と○×教育で育てられたために自主判断力に乏しく、それを埋め合わせるかのように権利意識だけが異常に発達して、先輩達をてこずらせ、あげくの果ては「40年以後の卒業生は外国人と思って付き合えば腹も立たない」とさえいわれるほどであった。この若者たちにとって技術革命のカッコ良さは心情的にピッタリで、原理探求抜きのボタン操作だけ覚えて一人前になったと錯覚してしまった人間が多い。もちろん時勢のしからしむところで、当人たちの責任ではないのだから、結果的には一種の欠陥技術者が過去十数年にわたって大量に生産されてきたことになる。
 先年、雨漏りに悩むある社宅の診断を頼まれた。聞けば、竣工以来1年半もの間漏りっ放しで、その間に10回近くも修理に来てくれた建設会社の誠意は十分に認めるが、何回やっても雨漏りが止まらず、ほとほと困惑しているという。屋上を見ると、一目でそれとわかる補修工事の跡が明らかで、工事人の努力の跡が痛々しいくらいにしのばれる。屋上の防水工事に関しては打つだけの手は打ってあると見たので、漏る部屋の天井を破って頭を突っ込んで見たら漏るのはあたりまえ。天井裏を走っている排水管の継ぎ手の部分から雫が垂れている。これでは屋上を何十回手直ししても止まるはずがな い。配管工の不注意と、それを見逃した現場主任のミスであり、また、手直しに来た技術者の注意力や判断力不足の見本のような実話である。
 一昨年、千代田区役所建築課で、区内の工事現場43カ所の鉄骨の溶接検査をしたところ、その42カ所までが欠陥溶接であったことを発表して、世間にも、建築学会や建設業界にも一大ショックを与えた。また同じ年に、某一流銀行事務センターの建設現場で、設計も監理も施工も生コン業者もすべて超一流企業ぞろいであったにもかからわず、欠陥コンクリートに誰も気付かず、5階まで建て上がってはじめて大騒ぎとなった事例などは、技術の荒廃を雄弁に物語っている。
 つまり、造船にしろ建築にしろ、設計と施工に100%の完全性を要求されるのに、材料や工法の進歩や機械化に眩惑されて、それらをつなぎ合わせる節目節目の判断力や手作業の重要性とか、仕事への愛着心などがいつの間にか忘れ去られ、なげやりになっているところに問題の震源地はひそんでいるのである。
 この数年来、コンビナートの爆発や、重油タンクの亀裂、タンカーの沈没や座礁、欠陥自動車、欠陥プレハブ、欠陥マンションとさまざまな事故が相次いだ。何か1つ起こるごとに、新聞はじめマスコミはすぐ「こんなに技術が発達したのに」と不思議がるが、実は、技術があまりにも急激に発達したからこそ事故が多くかつ大規模になったのであり、この根底はやはり技術精神の荒廃と技術力の低下である。
 最新の一貫システムによる製鉄所などでは、その製造工程がほぼ100%に近く機械化されそのオートメ化されたが、建設業ではまだまだ人間の判断や手作業に依存せざるを得ない部分が残っている。その判断や手作業が結果には全体の死命を制するにもかかわらず、世間一般の人も当事者も事の重要性をはっきり認識してきない場合が多い。
 建物の安全性を保証する構造計算には、現在でもかなりのパーセンテージで(高層建築ではほぼ100%)コンピューターが使用されているが、インプットするまでの各種の条件の整備や整理と、アウトプットされた数値を踏まえた大局的判断がなければ、コンピューターは人を惑わす淫祀邪教となりかねな い。この前後の思考力と判断力は、やはり経験豊かな熟練技術者にしか求められないのである。
 さらに建築工事においては、このような過程を経て完全な設計ができたとしても、現場の作業での 1人の溶接工の技術不足、1人の防水工の不注意、1人の配管工の無責任さが他のすべての完全性を帳消しにして、前述したような欠陥建築物を作り出してしまうのである。
 このような、半人前の設計者や施工技術者による場当たり的な工事の風潮が10年以上もつづけば、それがいつしか当たり前となり、最初の新米社員、新米職人もひとかどの管理職になって、ここに新世代による新しい伝統がまさに定着しようとしたときに、オイル・ショックによる冷水をあびせられたというわけである。
 オイル・ショックを境に工事量は激減し、余剰人員が生じても、永年の習い性となった工事方式が、にわかに改まるはずがない。それというのも、マンション1つをとってみても昔の入念な、自分の仕事に誇りと愛着を持つ、血の通ったやり方を、いままで一度も経験したことがない世代がこなしている場合が多いからである。
 一方、生活を大事にし始めた消費者は批判的な目で子細に点検をする。次々とマンションの欠陥ぶりを指摘されはじめたのは、業界にとって一見、不運なめぐり合わせのようにも見える。しかし、大局的には自己批判と再生への頂門の一針であり、天啓であると受け止めるべきではないだろうか。
はびこる不完全図面
 古来、建築の3要素として用、強、美がいわれてきた。用とは機能を、強とは構造強度をいい、用と強のみでは単なる構造物にすぎないものを「建築」として昇華させるのに必要不可欠の要素が美である。木と石の時代、すなわち建築における第1次の材料革命として鉄とコンクリートが現れる以前に おいては、日本でも外国でも棟梁たちはこの3要素を一身に体現した設計者兼施工者であった。
 しかし、鉄とコンクリートの出現によって、構造技術の分離を皮切に、次第に設計と施工が分離し、設計もまた必要に応じて全体計画および意匠設計、構造設計、設備設計の3部門に分かれた。分化が進 むにつれて用・強・美も分割され、昔の棟梁たちが本能的に体得していたこの3要素の調和を意識して体得しよとする技術者が現在では非常に少なくなってしまった。3要素に限らず、すべての要素間の調和を保ちつつまとめるのが「建築」という行為なのに、調和の精神が薄れ、失われては、建築物の調子外れのものになっていくのも無理はない。
 一方、木と石の時代から鉄とコンクリートの時代を経て、現在の多彩な新建材の時代へと推移するにつれ、素材の種類の増加に反比例して素材の現場加工度は少し、それに伴って、「作る喜び」すなわち技術者の誇りと責任感は低下してきた。
 25年前の戦後間もないところ、現場はまだスコップとモッコ、ノミとカンナの非能率さではあったが、「男の仕事場」としての気風がみなぎっていた。荒っぽいながらも人の和があり、秩序があって、「仕事のミスは男の恥」との意識に溢れていたし、設計者も一種徒弟制度的な雰囲気の中で研鑽することに生き甲斐を感じたものだった。
 それがわずか20年も経たないうちの、現場はブルでならし、ポンプ車で生コンを押し込み、新建材を接着剤で張りつける単調で退屈な作業場に変わった。驚くほど多様な職種の人々が数日間黙々と作業をしては消えてゆく非人間社会と化し、誇りも責任もどこかへ消えて失せてしまった。
 設計者もこの十数年の間は仕事に追われっ放しで、最小限の設計日数すら満足に与えられなかった、計算も図面も極力省略せざるを得なかったし、現場での経験を次の設計にフィードバックさせる暇もないような、いわば無我夢中の状態の中でいつの間にか「不完全図面」が世にはびこった。
 建物の隅々で細かく図面化していけば、当然発見されるはずのない食い違いやミスが見逃されている場合が非常に多かった。あるいはまた、隅々まで入念に書いてないために、現場の人が適当に片づけなければならない場合も珍しくなかった。これは設計者としてまことに恥ずべきことであり、早急にこの悪習を改めなければいけないと叫んでいるうちに「欠陥マンション」として露呈してきたのである。
 幸か不幸か、安定成長時代に入って工事量も減ったので、設計業界もここらでじっくり反省し、意匠、構造、設備各部門とも、これまで狭く深く没入していた専門分野の穴から頭をもち上げて全体を見渡し、調和を考える習慣を確立しなければ、欠陥建物の完全追放はむずかしいであろう。
法令もインフレ
 わが国の建設行政は、明治21年の「東京市区改正条例」の制定にはじまり、大正8年の「都市計画法」および「市街地建築物法」制定によって、建物個々の単体規定と、都市構成要素としての集団規定が一応形づくられ、昭和25年の「建築基準法」と「建築士法」の制定、さらに43年の「新都市計画法」が公布されて今日に及んでいる。
 この間、時代の変遷と社会情勢の変化進展につれてさまざまの法令、条例、規則等が公布、改正され続けてきた。直接の建築法規以外にも、たとえば「理容師法」だとか「流通業務市街地の整備に関する法律」「へい獣処理場等に関する法律」など、およそ人間生活に関係あるすべての法律がなにがしか建築に関連づけられている。見落としがないように「集録建築法規」という加除式の出版物が建設省によって編集されているが、その目次で数えてみると、何何法と名のつく大項目だけで120法あり、3〜4ヵ月ごとに改正および追加のための差替えページが数十枚郵送されてくる。
 基本となる建築基準法と消防法は、大地震や大火災のたびごとにきめ細かく改正追加され、その間にも国土利用計画法や公害法などの新法が続々と誕生してくる。しかも、本法と重複して地方条例があり、さらに、明文化されていない行政指導がある。
 かくて、建物の設計を規制する法規があまりにも多くかつ複雑難解になったために、建築設計者は 「もはやわれわれは法規解釈業者になり果てた」と自嘲するありさまである。
 工事現場でも着工と同時に、いわゆる監督官庁に提出を義務づけられている書類が、図面添付のものも含めて50数種類もあり現場技術者は最初の1ヵ月ほどはこれの政策に忙殺されてろくろく設計図を読む暇もないほどである。個々の立法の趣旨はよく分かるとしても、文字通り十重二十重に覆いかぶさってくる法律のすべてに違反しないために費やされるエネルギー量を考えれば、高度成長大量消化の時代に技術者が技術を身につける暇がなかった一因がここにもある。同時に、若い技術者が適法設計、適法施工だけで、すべての技術的責任をまっとうしたと錯覚するのも無理ないという感じさえする。法律でへの責任転嫁というべきか、法規のインフレが責任感を奪ってしまったというべきか、鶏と卵の関係に似ている。技術革新のインフレ、材料革命のインフレ、高度成長による工事量のインフレに加えて法規のインフレ、この4つの大波にもてあそばれては、調和の精神や原理探求の精神など、世迷い言になるのは当然であろう。
 昨年は新聞に雑誌に欠陥マンション問題が大きくとりあげられ、次々とその欠陥ぶりが指摘された。ついには建設省への「直訴」が引金となり、マンションの品質表示への行政指導や、建物の遮音性にJIS規格を採用する方針などが打ち出された。事態の改善への一歩前進で、まことに結構ではあるが、なぜ欠陥建物が数多くまかり通るようになったか、その原因を十分に追求して体質改善を図らなければ根本的な解決にはならない。
 これまで述べたように、材料、技術、工事量、法規の4つの分野での革命のインフレが同時に押し寄せたため、技術者の視界がゼロになったことが、建築を含めて社会的大事故の根本原因であると私は思うのであるが、欠陥マンションについては、もう1つ別の原因を指摘したい。
欠陥を追放するために
 マンションはボウリング場ブームの後を継ぐ花形として高度成長期の最後に登場した。商社、建設業者、マンション業者が競ってこれにとびついたが、好況下の豪華競争は不況になるや、一転してコスト切下げ競争に変わった。部品の規格化や量産化をはじめ、ありとあらゆる面で少しずつ少しずつコストを削っていったありさまは、「ゼロ戦」設計時の重量軽減への努力にも似て涙ぐましいほどであった。
 だが、ケチリ精神も度を過ぎれば欠陥につながるのは理の当然である。もともと日本人の住宅観念には遮音や防音の要素が非常に少なかったし、集合住居としてはわずかに公団住宅のみという乏しい経験しかない。にもかかわらず、現場から設計室へフィードバックされるのはコスト切下げに関する要望と注意だけ。しかもその中には、コンクリート床の上の木造床組みを廃止して、合繊の2mmほどの薄い敷物をじかにコンクリートに張りつけるなど、明らかに居住性の低下につながるものがあっても、業者間の販売競争の前には設計者も目をつぶってのまざるを得ないのが実情であった。
 結局、カメラや自動車と違って即座に性能評定のできない、あるいは評定する習慣のなかった点が、コスト切下げ競争の隠れみのとして利用され、欠陥のタネになったのである。業界も建設業者もこのことを反省しなければならない。新聞や雑誌に報道されている「買う時のチェックリスト」は、「売る時の性能証明書」でなければならない。
 欠陥マンションを追放するには、建築関係のすべての技術者がかつてのような、仕事の喜びと誇りと責任感を取り戻す必要があり、そのためには後述するように制度も改革しなければならない。また、目先の急務としては「マンションの性能証明書作り」があげられる。これまでの、良いことずくめの美辞麗句集のようなパンフレットではなく、自動車の性能表に匹敵する、数字の裏付けのあるカタログでなければならない。ただ、全国統一の性能評定書作りには多少の時日を要するから、それまでの暫定措置として、取りあえず次の6項目の早急な実施を提案する(細部の技術上の問題は一応省略する)。
1. 各戸の戸境壁と外壁、および床のコンクリート厚さは20cm以上とする(現状は12〜18cm)。
2. 外壁にはすべて結露防止の断熱材をいれる(現状は北側外壁のみというのが多い)。
3. 外部に面したサッシやドアは完全防音型とする(現状はほとんど使用されていない)。
4. 床は必ず二重床構造とし、固体音が下階に響くのを防ぐために、根太の下に防震ゴムその他を使用する。
5. 溶接やコンクリート強度などについては公的機関の証明書を添付し、排気システムや排水管経路などについては素人にも分かり易く図解した解説書、保証書を発行する。
6. 管理システムについては入居者本位の雛型を早急に作る。
 このうち1から4までは純粋に構造上の問題であるから、そのコストは土地価格や仕上げ材の程度に関係なくほぼ一定しており、試算の結果では、床面積1平方メートル当り約1万円程度のコストアップにしかならない。つまり、マンションとしての売値が坪当たり60万円の場合には約5%、坪100万円の場合はわずか3%のコストアップで、現在指摘されている欠陥の大部分は解消できるのである。自動車の排ガス規制によるコストアップが1台につきわずか2〜3万円に過ぎないのに、自動車メーカーがこれを渋っていたのとよく似ているが、ともかく、これによって業者も入居者も文字通り安眠できるはずであ る。
 また、膨大な設計図や構造計算書を入居者に渡しても素人に分かるはずがないから、竣工図をマンションの管理室に一部備えつけ、図面の損傷や紛失を考慮して、マイクロフィルムのネガを一式保管しておく。入居者には建物全体の構造、設備の概要と自宅の設備の状況がよく分かるような図解の説明書を渡すことにする。
 設計時と建設時の厳しい法則制も、このような居住性に関してはまるっきり野放しである。また、役所の建築審査課や指導課の技官が、工事現場に鉄骨や鉄筋の検査に来ることになってはいるが、現場の手作業や技術者の姿勢や熟練度が大きく影響する現在の工事システムでは、工事監理の面で「お役所」に過大な期待をかけても無理であろう。やはり良心的な設計者の、きめ細かい現場監理に期待するほかはない。
 ところが、入居者の身になって現場できめ細かく監理をし技術指導する設計技術者の養成については、現行の建築士制度はあまりにもお粗末であり、時勢にそぐわない。すなわち、27年前に制定されたまま現在に至っている1級建築士の受験資格は、「大学卒業後2年間の実務経験、もしくは2級建築士の資格取得後4年間の実務経験」となっているが、その後の技術革命、材料革命を経た現在、わずか2年の実務経験ではたかだか教養過程を修了したにすぎないのに、それで最高資格が得られるからいろいろと問題が起こる。早い話が大学を出て3年目に資格を取れば、すぐさま設計事務所を開設して、大きなマンションを設計することも可能である。他人の大事な財産となる建物を設計するについて、人生経験や技術者としての経験の蓄積は問題とされていないところが問題である。
 そこで私は、1級建築士の資格取得後、総合設計、構造設計、設備設計、施工、監理等の専門分野での10年の実務経験を受験資格とする「建築技能士・○○部門」による責任体制の確立を提唱する。現行法規を統合整理し、一切の責任をこの建築技術士に委ねることによって前述の鶏と卵の悪循環も解消できるし、発注者の無茶な注文を抑制する権威も生じるはずである。年齢的には35歳以上、十分に成熟した技術者の努力目標を定め、その努力に値する社会的地位、報酬と義務、責任を明確にするのが狙いで、この制度が実施されれば欠陥建物はおのずから消滅するであろう。
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