日本最初の防水工事なしの住宅 : 千葉県船橋市・井上邸(1983年竣工)
防水工事をすれば雨が漏る話
セメント工業 NO.182(昭和59年1月) 発行:日本セメント株式会社
 一部の地域、一部の国家が工業化社会と化したのは、人類の長い歴史から見ればほんの瞬きをするほどのごくごく最近のことである。そしてその一部の国家の中でも、日本ほど急激にかつ徹底的にこの転換をやってのけた(或いは転換に見舞われたというべきか?)国はない。おかげで国民の日常生活も、殆どすべての面に亘って良くも悪くもすっかり変わってしまった。公団住宅とマンションに代表される集合住宅もその一例であるし、戸建住宅の材料としてコンクリートが増えて来たのもその現れである。もともと住宅というものは世界中どこの国,どこの地方でも、その地域で手近に得られる材料を用い、気候風土や生活様式に合わせて幾十世代,幾百世代にも亘って少しずつ改良を加えられながら次第に定型化してきたし、それがまた固有の文化を守りかつ育てて来たものである。わが国における住宅の主材料は言うまでもなく木材であったし、木材の感触,香り,色合い等はその他のさまざまの特性とともに日本の国民性の形成に大きな影響を及ぼしてきた。こういう意味で私は本来は木造住宅が好きなのである。しかし、現在の都会における住宅の密集化をはじめ、もろもろの条件を考え合わせれば、住宅の相談を受けた時にはついついRC造を薦めることになってしまう。
 というような訳で、10年ほど前に実弟から相談を持ちかけられた時もRCの住宅ということになった。そしてその施工は気心の知れた【堀建設】という街の工務店に頼んだのである。
 ところが、何回目かに現場を見に行ったとき、その時は躯体工事はもう完了して、そろそろ内装に取り掛かろうかという頃であったが、屋上に出てみて驚いた。水深5cmほどのプールになっているのである。見れば、小住宅なので屋上に1個所しかないルーフドレンが、ビニールや紙屑や木の葉などで見事に詰まっている。早くドレンの掃除をしなさいと言いかけてフト気がついた。屋上に登る前に2階を見廻した時には、天井にも壁にも雨漏りで濡れた所は1個所も見当たらなかったのである。現場担当の水野さんという人に聞いてみると、「一週間ほど前の雨降り以来、屋上に出る機会がなかったので気づかなかったが、言われてみれば2階の天井、つまり屋根スラブの下端にはどこにも水は滲み出ていません」と言う。考えてみるとこの住宅はローコストで上げるために4間×5間という箱型の壁構造で、屋根版は中央に小梁が一本入っているだけ、つまり4.5m×7.2mという大きなスラブが2枚並んでいる。しかも壁構造の建物だから、外周の梁幅はもちろん壁厚しかなくて、四周固定版にはほど遠い状態である。したがって全体の剛性を高めるためと、クリープその他のことを考慮してスラブ厚は20cmとし、配筋もたっぷりで中央部の上端筋も入れてある。加えて、工務店の人がまじめな人でスランプも指定通り18cmなら、突固めも十分に行ってある。つまりほぼ理想的なコンクリート工事であったために、防水なしのままでプール状態になっても少しも雨が滲みなかったのであろう。
 そこで私は考えた。プールになって1週間ももったのなら、ルーフドレンがちゃんと機能していれば、このまま防水なしでも雨漏りは生じないであろう。ここは一番、実験的に防水工事を取り止めてみようかと。施主は幸い実弟である。これが普通のお客さんならとてもそんな冒険は許されないのだが、そこは兄弟、後日になってもし万一雨漏りが生じても、そのために設計事務所としての存続にかかわるような悪評を世間に言い触らされる心配はない。むしろ防水工事費が浮いた分だけ仕上に金をかけられるではないかと、言葉巧みに施主である弟に相談を持ちかけたら、一も二もなく賛成してくれた。
 以来10年、当初心配したようにクリープによって屋根スラブ中央が2cmほど撓みはしたものの、いまだに雨漏りは生じていない。もしクラックでも入って雨漏りが生じても、屋根はコンクリート打ちっ放しであるからクラックはすぐ見えるし、樹脂注入をすれば補修はわけないと思っていたが、さすがにダブル配筋、しかも計算よりもタップリと余分に配筋してあるのでクラックも生じない。結局、あのとき閃いた、防水工事の中止は正解だったわけである。
 これに味をしめて、それ以後、RCの住宅の屋根は防水なしの打ちっ放しにしている。ただ、念のために(いつも施主が兄弟とは限らないので)ダブル配筋の上に、さらにワイヤメッシュを斜めに敷き並べ、スラブ厚は20cm、スランプは18以下としている。施工は、事情が許す限り堀建設にやってもらうことにしているので、工事監理の面では至って気が楽である。
 ところが面白いことがある。この堀建設に比べると年間工事量が10倍以上もある中堅ゼネコンに、同じ程度の小規模の住宅兼店舗や医院の施工をお願いしたとき、当店はいつもの調子で屋根防水なしの設計図を渡した。ところが、そのゼネコンの課長が来て曰く、「防水なしではどうしても不安で、当社としてはそんな工事は出来かねます。費用は当方で負担しますからアスファルト防水をやらせて下さい」。「いや大丈夫、スラブも厚いし配筋もダブルならメッシュも入れてある。何よりも既に何軒もの実績がある。それも貴社よりも一桁も小さな工務店でやって貰っているのだから、貴社であればなおさら十分なはずである」と口を酸っぱくして説明しても頑として、「当社の信用にかかわりますから」の一点張りなので、とうとうこちらも根負けして防水をすることにした。
 ところが、である。その会社で施工した病院も店舗も、2軒とも物の見事に雨が漏ってしまった。原因は防水立ち上がりの収まりがきちんとしてなかったことであるが、それ以前にコンクリートの質の問題が言えるであろう。堀建設では、社長以下全員が私の説明をよく聞いて一生懸命に良質のコンクリートを打ってくれるのに比べて、中堅企業ともなればさほどに気を遣わずに通り一遍の、つまり生コン屋さんとポンプ屋さん任せのコンクリート打ちになってしまうからであろうと私は考えている。
 皮肉な話である。